心の病、思い出のメモ(長文注意)

病院の待ち時間で暇なので、心の病の思い出を適当に。
今思い返して見ると、中学2年か3年の頃には、いささか異常だったのではないかとおもう。
深夜ラジオを聴きながらの勉強。一方昼間の学校ではほとんど居眠り。そして父親の理不尽な八つ当たり。私のストレスは、恒常的だった。
高校生になってもそれはつづく。燃え尽きたかのようなやる気の無さはいつもの事。教師からは好かれなかった。その場さえやり過ごせば良いと言う態度が見えていたからだろう。実際、希望などなかったのだ。
高3で受験に失敗し、一年浪人。そこでは何とか頑張り、次の年に熊大工学部に合格。全ては良い方にまわるはずだった。
しかし私は燃え尽き症候群になる。いやはっきりと鬱が顔を出したのかもしれない。TRPGに熱中する一方、やはり昼間は起きていられず学校から足が遠のいた。
2回留年したところで、やっと危機感が生まれ、大学の保健室に相談。しかし全ては遅かった。親に状況を打ち明けるが理解は得られず。3回目の留年。しばらく再起を図るがダメだった。
大学を中退。しばらくアルバイトをするも、勤務態度を理由にクビ。
ヤケになり東京へ。色々あって、親と和解し、専門学校に行く事になった。三年ほど鬱は顔を見せず幸せな時期だった。
就職し、一年ほどしたところで鬱が再び顔を出す。会社を退職。しばらく天井を眺める日々が続いた。
その後専門学校に非常勤講師として入る。抗うつ剤とリタリンの力を借りながら何とか勤務するものの、一年半で破綻。クビ。
実家に帰る。2000年の8月だった。
長い間、半ば寝たきりの日々が続く。3年の月日が流れた。やっと動けるようになり、地元の専門学校に就職。5年勤め上げる。学校都合で解約となり同時に大阪へ。2年半ののち職場のストレスから鬱が再び登場。その後休養を取ったりするも、最終的にクビ。
2012年の9月に地元に帰還。
その後も鬱と付き合いながら働く状況が続いた。
今は実家の手伝いとひじようきんこうの掛け持ちで何とか生きて居る状況だ。
そして先日、双極性障害である事が判明したのであった。

今後、この病気とどう付き合って行くか。
いつまで生きるのか。悩む。

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