昭和30年代マジック

昭和30年代がいい時代だった的なドラマがあるけども。
まぁあの頃はネットもamazonもパソコンも無いしなぁ。外国旅行も大金持ちのものだったし。
治安的にも、今よりよほど怖い時代だったし……。労働闘争もあったやろ?確か。
今よりいろんな差別や偏見も激しかったし……。
大げさかもしれないけど今の中国みたいなもんだったと思うぞ。

まぁ何が言いたいかというと、過去に対する過剰な憧れは、今を見落としてしまうぞ。ということ。

心療内科いってきた。

心療内科行ってきた。あきづき医院というところ。昔からお世話になってるところ。
行ってみたら移転してて、ちょっとびっくりしたけどgooglemapで検索発見。便利な世の中だわ。
大阪でもらってた薬と大幅に構成を変えるということで、新しい薬をもらった。レクサプロという薬。効くと良いなぁ。

飲み会

昨夜は、講師時代の教え子たちと一緒に飲み会。

地元に帰ったのをお祝いしてくれた。経緯的にはちっとも祝われることじゃないんだけどw まぁ集まる口実と思えば悪くない。
学生たちが大人になり結婚し、色んな事を語ってるのを見ると、うれしいようなさみしいような。

実家に戻りました。デグーも元気です。

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無事地元に引っ越しました。引っ越したのは9月の8日。数日はぐったり寝てたり飲み会だったりでいろいろばたばた。
4日目の今日になってようやく転入届けです。
デグーたちも新たな環境になれてきて、元気にやってます。

私はしばらくはゆっくりして、実家の手伝いをしながら失業手当を受けて、病気が落ち着くのを待つつもりです。その後は実家に就職するか、仕事を探すか?

宮崎の実家に撤退します

その後色々ありまして。やっぱり大阪で仕事を続けて行くのは無理と判断しました。

9月に実家の宮崎県都城市に帰り、実家の手伝いなどをする予定です。しばらくは失業手当でゆっくりするつもりですが……。

一時は生活保護を受けるか自殺するかと考えていたのですが、生ぬるい結論になりました。こんな情けない自分が生きていてもしょうがないとは思うのですが、両親を心配させたくないのと、やっぱり死ぬのは怖いので、安易な方向に流されます。

ごめんなさい。

 

お仕事見つかるかな

資産家でも無い俺にとって仕事=生きる糧である。

やりがいも多分に含んでいる。

今回、退職するに当たり、一番困るのは今後どうやって生きていくか。とにかくとりあえず。転職活動をネットを使ってえんやこりゃとやっているのだが、中々良い感じには進まない。自分のスキルと経験で多少でも引っかかる求人には申し込む。

もちろん、自分でもどうだろうな、と多少思う求人にも突っ込むのでどんどん書類ではねられる。しかしそこで諦めるわけにもいかないので、しばらくはどんどんやっていく事になるだろう。

なーに、一個通れば勝ちなのだ。何とかなる。

引き継ぎ準備

昨日、引き継ぎのために自分のもっていた仕事(タスク)のリストを出してみた。
およそ40個ほど?案外多いような少ないような……。
自分独自という形で持っていたモノも多くあるが、ほとんどは月に3回来る顧問業者に受け渡すことになるのだろう。ただまぁメンテナンスやら何やらの網はどうしても薄くなることになるんだろうけどね。
まぁもうそこまでは知らんわいな。

CentOS4.9でYumがUpdateできない。

会社で借りてるサーバがCentOS4.9なのだ。んで、CentOS4.9はサポート切れたのでYumのUpdateもなんもできなくて困ってた。
でも、そういうときに解消する手があった。

http://vault.centos.org/ で古いリポジトリを参照できるんだそうな。ありがたや。

参考にさせてもらったのは、こちらの記事。ありがたい話である。